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ハッピーバッドエンド

音楽とか日々のことだったり、そうじゃなかったり

フラカン28号スペシャル

2017/04/22 日比谷野外大音楽堂へ。

曇りだったので、まあなんとか堪えそうかな〜と思いきや開場時間あたりから雨降りだして笑いました。

席に着いてとりあえずカッパをいそいそと。

この一連の流れ、心なしか会場にいる客はみんな慣れてるような感じが出ててちょっと面白い。

そして段々雨足強くなりましたね。

 

野外ライブの日に雨が降っちゃうこの感じがフラカンぽいよなあって思って、体力奪われつつもご満悦でしたよ。次の日はド晴天なのがオチをつけててまた良し。

 

口笛放浪記を聴けたのが良かったです。あとは日々のあぶくも。

野音で聴く東京タワーはいつだってグッときてしまうなあ。

 

MCの時に野音は7回目で〜とか話してたので色々思い出したりした。

高1の頃にフラカン好きになって、それはそれはもう私にとっては衝撃で、初めて「生きてる」人間を目の当たりにしたような感覚だった。

みんな生きてるんだけど、それはそうなんだけど、苦しいこと痛いことをそのまま曝け出しているその姿が「この人は生きてるんだ」と思った、のだと思う。

 

なんか自分の考えが汚れてるような気がして、周りの子達はキラキラして良い子に見えて、ずっとモヤモヤしていたけれど、それは別に間違いじゃないんだなって思えた。私を初めて肯定してくれたのは、親でも友達でもなくフラカンだった。

 

その衝撃を受けた頃はフラカン20周年だったと思う。その時の野音は行けなかった。

次の22周年の野音が人生初めてのライブとなり、それ以降、野音は全部行けてるのかな。

 

この間の野音のライブを観て、きっと自分にとって一番居心地良い音楽はここなんだろうな、って思いました。

 

なんか天気の話と自分語りしかしていない、けどこれにて。

春と桜

春ですね。今年はいつもより長く桜を眺めていた気がします。散っていく桜も、あと何日かかけて見送っていけそうな感じですかね。

 

少し前に、

まだ満開じゃないのか、それとも散ってしまったのか、どちらか分からない桜を見た後に一つ決断をしました。多分、間違った選択なんだろうなと思います。でも私は私でギリギリで、今の私にとってはこれが最善なはずなんです。不完全な桜は私に見合ってたと、今になって思う。

 

出会いと別れの季節は春夏秋冬365日いつだってあるけど、「別れはまた誰かと出会うためのもの」だとか「終わるということは何かが始まるということ」とかいう言葉はただ美しいだけの言葉だと思うのですよね。

何かが終わったことが別の何かで始まってもそれは別物だし、大体そんな考え方は終わってしまったものたちへの冒涜じゃないのか。と思ってしまう。

 

だからいっそのこと、「さよならだけが人生だ」とキッパリ言われた方が良いです。 

人間は生まれて死ぬんだからな。

 

悲観的な話じゃなくて、一つ一つを受け入れていかなきゃなってことなんです。

自分で終わらせたものなら尚更、後悔や反省があるなら、それも全部持っていかなきゃなんじゃないのか。

 

毎年毎年、同じ桜を見上げてる訳じゃなくて、その時その時の桜と出会ってるんだよなあと、ぼんやり思った春です。